TAKST の雑念所

週2は何かを書くということを目的に、思いついたことを何か書きます。

"文系管理職のための失敗しない DX" という言葉に覚える複数の違和感

どうもこんにちは。人様の企画にケチをつけるつもりはないのですが、以下の記事連載に複数の違和感を覚えまして、これが国内市場を端的に表してるなーと思ったので書き散らかします。先に断っておきますが、各記事の中身まで全部読み切ってるわけではないとうことと、企画と記事の内容そのものを dis りたいわけではないです。悪しからず。

文系管理職のための失敗しないDXの記事一覧 | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース (toyokeizai.net)

 

  • 違和感1: 文系がフォーカスされる
  • 違和感2: DX の話なのに管理職を対象にしている
  • 違和感3: "失敗しない" という修飾語

 

高いニーズがあって PV 数が稼げるだろうなーというのも想像に難くないです。それが故に根が深いとも言えるんですが。こういう体裁の連載に人が集まるというところに根本的な問題があるんだろうなぁ、と思う次第。では、一つずつ掘り下げます。

 

違和感1: 文系がフォーカスされる

文系理系の括りや無駄な文系 dis、理系上げに意味がないと個人的に思います。文系が作者の気持ちを考えるだけじゃないですし、一口に理系と言っても数学者と工学における品質管理を突き詰める人の専門性はまるで異なります。IT というかコンピュータサイエンスも細分化が進んでまして、データサイエンティストの中でも統計系に強い人や機械学習に強い人で分かれていくレベルです。そういう現実を横に置いて、丸っと文系という扱いにするのが不思議極まりない。逆に外資ITに長年身を置いていても文系出身で Tech Role のトップを突き進む人もいますし、文系理系区分ってやっぱり意味がないと思うんですよね。現状の日本だと、大学受験前後のプロファイルに強いアイデンティティを持つ人がまだまだ多いんだろうなぁ、という感想。

 

違和感2: DX の話なのに管理職を対象にしている

DX は本来は (今話題の) シリコンバレー的なビジネスモデルを従来型企業も取り入れて、アジャイルに近い製品開発やビジネスをしよう、という話だと理解してます。日本の場合、経産省による定義で誘導されてまして、こちらはどちらかというと、ユーザー企業の IT 投資の遅れと、ベンダー・SIer 側に IT 人材が偏っていることやそもそもの数が足りないことを問題視している要素が強かったりします。ただ、どちらにせよ管理職の階層の問題ではなく、経営者層の意思決定の問題です。管理職も IT への理解が必要とされはしますが、ビジネスモデルの改革の話なので、それに根本的に間違うとすると部課長レベルはもちろん、本部長クラスの管理職の職責の話ではないと思います。トップが弱い・トップダウンしようとしても現場に負けがちな日本企業ならではの話だなぁ、と。

 

違和感3: "失敗しない" という修飾語

デジタルトランスフォーメーションは失敗します。というか、失敗してなんぼです。環境変化が激しいので、迅速に新しいテクノロジーを採用できる体制・組織にすることが根っこにありまして、そのためのデジタル化です。なので、新しい試み・新しい技術を最低限でさっさと試して、ダメなら捨てる、成長しそうであれば更に投資する、というのを高速にサイクルを回していく必要があるよね、という話です。Facebook こと Meta のメタバースへの舵取りがどうなるかは失敗を基にした例にするのは微妙な結果になりそうですが、成功例に近いのは、"Mobile first, cloud first" を標榜しつつ、モバイル側は OS から下のレイヤーを捨てて、アプリから上に絞ったマイクロソフトが例になるかもしれません。

 

DX は失敗を恐れたらどうにもならない。逆にうまい失敗の仕方を学んで失敗の数を重ねる必要があります。極端に失敗を恐れ、一度の失敗でキャリアを失う可能性すらある日本のサラリーマン稼業の闇の一端を示しているように思います。

 

 

まぁ、極論は DX は設備投資の額と方向性の話なんですけどね。この記事のニーズが高いことはよーく理解はできるものの、ニーズが高いこと自体が DX が進まない根本理由の一つだろうなぁ、と思った次第。今日書き散らしたかったのはこれくらいです。