TAKST の雑念所

週2は何かを書くということを目的に、思いついたことを何か書きます。

GAFA 評シリーズ3 - Meta/Facebook は ID 基盤になれるのか

ただいま(2回目)。いやー。本当にすみません。定期的に多忙の波はやってくるのですが、こんな短期間で次の波が来るとは...。さて、続き行きましょう。GAFA の3つ目。Facebook / Meta です。まずはいつもの3行。

  • メタバースの一番の本質は単一化された認証基盤にある。2nd life じみたVR空間・メタ空間は派手なだけで意味がない。
  • 認証基盤/IDaaS において、一般消費者領域で一番、その位置に近いのは Facebook である。
  • 統一化された認証基盤は公共性が非常に高いものになり、営利企業が持つこととその目的と価値が相反する。営利企業としての Meta/Facebook では実現は不可能。

主に残念な方向で驚異的な伸びを見せているメタバースというバズワード。よく夢物語で語られるメタバースの実際の形としては FF14 が一番近いんじゃね?という話も以前書きました。が、商用利用的な VR空間としてのメタバースメタバースの概念において一番の核になる価値じゃないと思ってます。ユニバースに対するメタバース。オンライン空間で個人を確立することで、単一IDですべてを利用できるようにする、というところが一番革新的なところで、おいしいところです。この単一 ID の利用が VR 空間じゃないといけないなんてことはないわけで、普通の Web サイトでの認証、オンラインショッピング、オフラインの会員登録や保険証との連動等までできれば利便性が上がって嬉しいよね、というところが一番のミソなわけです。

こっちが本丸ではあるものの、この本丸を分かりやすく大々的に説明してしまうと、マイナンバー制度に対するプライバシー懸念的な皮を被ったアレルギー反応が多発したものを、更に激化させたものが発生するので、VR空間的なもので目くらましながら進めようとしているんじゃね?というのが個人的な理解。そして個人的に、とくに Meta のような単一営利企業がその基盤になる、という点については、アレルギー的な懸念はまっとうな懸念だと思います。マイナンバーカードは良いと思うんですけどね。国に見られて困ることってなくない? Facebook が全部トラッキングして、そこにトラッキング広告打ったり、個人情報が API 経由で抜き出せるようになってたりするのは嫌だけどさ。

あえて断言すると、Meta / Facebook の未来は明確に暗いと思ってます。少なくとも、一営利企業としては。本格的にメタバースに取り組むのであれば、非営利団体化して、ICANN みたいに裏方に回って整備して、各国政府や複数企業と調整しながら進めないと無理でしょう。営利企業である以上、利益を上げる必要があり、ID基盤になることは短絡的には利益を産みません。ID基盤であることを利益に直結させようとすると、基本的には広告業になり、プライバシー問題や既に顕在化している各種政治的な問題、公益性の問題にぶつかります。Facebook/Instagram/WhatsApp と複数プラットフォームを既に持っているので、せめて、ID 基盤部分は切り出して非営利化、利益は Instagram 側だけで上げるようにするとか、そういう工夫をしないと難しいんじゃないかなーと。

ということで、GA "F" A については以上です。とりあえず、皆様もメタバースの目くらましにはだまされませんように。 

GAFA 評シリーズ2 - Amazon の真価はこれから問われる

ただいま。公私ともに慌ただしい状態が続いていまして、ブログ書く時間が作れませんでした。やっとちょっと余裕でてきたので再開します。記事をシリーズ化しようとして単発で終わるところだった。危ない危ない。

さて、GAFA 評シリーズは第2弾。G "A" FA です。AmazonApple か、どっちなんでしょうね? まぁ、今回はAmazon でいきたいと思います。まずはいつもの3行。

  • Amazon はブラック。スタートアップ特有の感覚がまだ抜けてない。CEO も代替わりして企業の真価が問われるのはこれから。
  • Amazon の強みは "数打てば当たる" を是とする失敗許容文化とエンドユーザー志向
  • Amazon の弱みはエンドユーザー以外を考えないこと

Amazon は 1994年創立の28年目。これは Google でいうところの 2018年、Apple での 2004年 iPod 全盛期で iPod mini を出した年、Microsoft での 2003年 Windows XP の SP1 を出して SP2 の前、Windows Server 2003 が出た年。こう比べると、Google もまだ若いんですな。Apple / Microsoft の同年次を見ればなんとなく想像できる通り、まだまだ創業者の創業時イケイケマインドがまだまだ強く、企業文化がスタートアップ寄り≒所謂ブラック企業に近く、大企業・プラットフォーマーとしての責任感が生まれ始めるか否か、というタイミングです。Amazon はまさにその過渡期にあるなぁ、というのが僕の個人的な感想。Amazon の倉庫従業者はいわずもがな、AWS の中の人達も働き方がシリコンバレースタートアップ的なそれ。まぁ、Amazon は MS と同じシアトルの会社なので、シリコンバレーじゃないんで、あくまで概念的な意味合いですが。現金ベースの給料は少ないが、株価上昇に夢がある、とか、色々な規制や世間の目よりも効率やエンドユーザーのメリットを優先してしまう姿勢とか、人事的な部分にしても、支配的プラットフォーマー企業としては責任感や自身の影響力の考慮が明らかに足りてない部分にしても、まさに過渡期。ぶっちゃけ EC の Amazon.com の代替はそれぞれの国で異なるものの、日本の楽天や中国のアリババ、カナダの Shopify 等があり、絶対的なものではないですし、AWS についても GCP や Azure があるわけで、10年後も支配的な地位に留まれるか否かは現在進行形で進んでいる企業文化の成熟にかかっているといても過言ではないかなーと思います。

Amazon / AWS がなぜ強いか、と言われると一つは数打ちゃ当たるを地で行くところ。これは当たるまで続けられるファイナンス的な体力があるというのと、企業内で失敗しても学びがあれば是とする文化があるからでしょう。同じくファイナンス体力はあって失敗し続けてるのは Google ですが、あちらはあまり失敗を是とできている感がない。ここが2本目の収益の柱を立てることに成功したか否かの大きな原因なような気がします。Fire Phone とか、Dash ボタンとか、どれだけの人が覚えてるだろうか。そして、もう一つの強みは徹底したエンドユーザー志向。従業員とか関係会社とかのことは下手するとお構いなし。エンドユーザーにとってメリットがあるということを徹底する。これはエンドユーザーとしては非常に魅力的になる。Amazon Prime、便利ですよね。Amazon Music は全然使ってないですけど、動画コンテンツ消費ガチ勢ではない僕には ストリーミングサービスは Prime Video で十分です。

ただ、この徹底したエンドユーザー志向は諸刃の剣でして、特に AWS ビジネスにはマイナス要素が強いように思います。というのも B2C ビジネスの EC ビジネスと異なり、B2B ないしは B2B2C ユーザーが主になる AWS というビジネスは、エンドユーザーの絶対数がさほど多くなく、むしろ、エンドユーザー以外の数の方が多くなるからです。エンドユーザーの数が文字通り桁違いの B2C ビジネスにおいては数の暴力で道理を無視した無理を通すことは不可能ではないです。一方の B2B/B2B2C ビジネスでは、エンドユーザーというのはNetflix のような B2C ビジネスを行う企業であって、その絶対数が少ないんです。一方で、AWS ビジネスを成立させるために必要な他社、SIer や 3rd party ISV、OSS プロジェクト、いわゆるパートナーと言われる企業は多く、かつ B2C ビジネスのように力関係が一方的ではない。そのため、EC ビジネスのようにエンドユーザー志向徹底しようとすると、AWS ビジネスでは他社との軋轢が生まれ、かつエンドユーザーからの賛同の声というのも数が多くは産まれないという状態になります。その典型例を2つ挙げると、1つが Elastic との喧嘩。OSS フリーライドでよく衝突してます。喧嘩相手が OSS だけかというとそうでもなくて、仕様策定や共同研究開発を行う類の業界団体・コンソーシアム系への参加も渋いんですよね。もう一つが AWS Outposts。HW も Amazon 製で、管理も Amazon がリモートから実施。これにメリットを感じるユーザーは、Dedicated Host で十分なのでは...。ハイブリッドクラウドやるにしては、HW ベンダーも SIer も敵に回して、自ら敵を作りに行くスタイルにしか見えません。今はまだ先行者利益で太いビジネスになってますが、Microsoft の Azure という強い競合が育ってきてますし、GoogleGCP を諦める気はなさそうです。競合との差がどんどん詰まってきているので、拮抗しだすと自ら作った敵が一気に牙をむいて落ち込む可能性もありそうだなぁ、と思う次第。

いずれにせよ、Amazon は成熟した企業文化に脱皮できるかどうかでどうなるかが決まるだろうと思います。

GAFA 評シリーズ1 - Google (Alphabet) は consumer ビジネスをどう扱うかが分水嶺

外資系IT大手で働いている身で近場で見聞きしている情報からの感触と、日本語であふれている情報とで結構な乖離がある気がするので、思い付きで GAFA の個人評的なことをやってみようかと思う。表記の順番通り、まずは G = Google = Alphabet から。いつも通りまずは3行にまとめてみよう。

  • Google のビジネスは Web 広告依存で健全ではない
  • Google が今後のビジネスをどうしたいかクリアに見えない
  • ごく一部の技術を除いて Google に光るものはない。そしてそのごく一部の大半は OSS 化していたりする

Google(Alphabet) の直近の決算報告はこちら。

GOOG Exhibit 99.1 Q4 2021 (abc.xyz)

大半が Google advterising でよく CM で見る Chrome Book も Pixel もビジネスには寄与していないし、Google Cloud Platform (aka. GCP) も結果は芳しくない。今も変わらず Google は検索広告の会社である。更に言えば、最近の Google 検索は広告と SEO 対策されたもので埋め尽くされており、深い情報や正確な情報は検索演算子 ("" や -、site: 等々) を使わないと調べられないし、リアルタイム性が高い情報は TwitterInstagramTikTok を調べた方が早いという有様になっている。そういえば、最近は以下の記事も話題になってましたね。

Googleの「うちの検索結果はお金では買えない」という古い記事が発掘されて話題に - GIGAZINE

つまりは、Google 検索は顧客誘導をかけたい Google advertising のユーザーのためのプラットフォームになってしまっていて情報を検索して得るという Google 検索そのもののユーザーに最適化されたものにはなってない、ということです。これは非常にまずく、Google 検索自体の価値が下がればユーザーが離れ、広告媒体としての価値が下がるわけで、危惧すべき状態に陥っています。まぁ、Google 検索から単純に取って代われるものがあるかというとそうでもないので、余命はまだ短くはなさそうではありますが。そして、Google 自身もそのことには気が付いているので、広告で稼いだお金をジャブジャブとつぎ込んで他のビジネスを立ち上げることに躍起になってます。それが辟易するほど見せられる Windows PC ディスりの Chrome Book の CM であり、何が言いたいかよくわからない Pixel の CM であるわけですね。GCP の方は commercial business なのでわかりやすい ad は打ってないですが、AWSMicrosoftOracle 等からグローバルで社員を札束を積んで引き抜きまくったり、利用額1年分のクレジットみたいな無茶なオファーでユーザーを捕まえようとしたりしているという情報が聞こえてきます。

とは言っても、予算が決まっていて選択肢がない GIGA スクール案件(小・中学校での PC・タブレット導入) で追い風が吹いた以外では Chrome Book は全然伸びてないです。

9月デスクトップOSシェア、Chrome OSが増加 | TECH+ (mynavi.jp)

いや、というかあの CM、6秒で起動する PC って M2 SSD 載ってれば OS 問わずにそんなもんじゃないですかね? セキュリティ機能も Windows 標準で Windows Defendar 載ってますし、何をターゲットにしているのやら?

Pixelも残念な状態です。アメリカ市場・日本市場でやっと2%強。グローバルでは圏外レベル。あれだけ広告費用打ってこの状態って大丈夫かしら。

Mobile Vendor Market Share Japan | Statcounter Global Stats

他社でもありがちなのですが、特定サービスに特化したビジネスをしている single issue company と違い、複数サービスを柱にビジネスをしている multi issue company って上手く組織や人事評価を作らないと上手く動かなくなるんですよね。Google の場合、広告ビジネス(Google 検索/Ad と YouTube Ad) のユーザーや市場は企業の広告を打つ人たちですし、Chrome Book は安価PC、Pixel は Middle and/or High end スマホGCP は開発者 and/or 企業のシステム部門、とそれぞれのビジネスの想定ユーザーもターゲット市場もバラバラで、売りが立つまでのプロセスもリードタイムもバラバラです。広告ビジネスが強すぎるので、同レベルの成果を求められると Chrome Book ビジネスには無理ゲーですし、consumption business の GCP と売り切りの Pixel もビジネスとして完全に別物でしょう。それぞれのビジネスに親和性がないことも問題です。強いて言うと、Google 検索・YouTube のプラットフォームとして GCP (= 自社データセンター) が使えるところくらい? このちぐはぐ感を何とかしないと Google の今後の見通しは明るくならないと思ってます。

とは言いつつも、Google 発祥の優れた技術は色々とあります。具体的には直近では Kubernetes であったり、Big Query だったりします。しかし、k8s も CNCF に渡してしまいましたし、Big Query もマネタイズできているか、というと期待しているほどではない。Google の Engineering team には企業当初の崇高なミッションと、技術に対する真摯な姿勢が残っていますが、作り上げて外に放出し貢献するという状態になっていて、GCP 他の自社ビジネスに上手くいかせているかというとそうでもない。GCP Anthos も内容やビジョンは素晴らしいと思うんですけど、人やリソースの張り方を見てもそこまでやる気があるように見えないですよね...。IBM ( RedHat) に分散クラウドなる言葉でビジョン横取りされてる感がありますし。ここら辺のちぐはぐは究極には経営トップの方向性の問題なような気もしなくはないです。

Web1/Web2/Web3 と個別定義したがっている層がいるが、その変化はリニアに進むもので、明確に切り分けられるものではない

スターリンが大粛清を始めたのが59歳、毛沢東文化大革命を始めたのが73歳、若い頃にしかできない思い切った決断というのもあるけれど、高齢になって決断力があらぬ方向に先鋭化する事象もあるのだろうか。何にせよ、可能な限り被害者が少なく決着してくれることを祈るばかり。

さてさて、最近、以下の記事を読みました。

Web3への道:先駆者だった日本がガラパゴス化した理由 中編:インターネット利用の変化を読めず「電話」に固執(1/4) | JBpress (ジェイビープレス) (ismedia.jp)

全体的にはふーんというくらいの内容、というか、IT業界ウォッチャーなら既知の内容が多かったのですが、気になったのが以下の部分。

>Web3は分散コンピューティングが主流になるといわれています。ということはWeb3.5はモバイルによって分散コンピューティング環境が構築できるということになるのです。

この人の中での分散コンピューティングは何なんだろう?というのが理解できなかったわけです。集約したリソースで一元的に処理を行うのではなくて、より広範囲で分散した処理を行うのが分散コンピューティングであって、Web x モバイル x 分散コンピューティング環境、と言われても??モバイルで分散処理はまだ理解できなくはないですが、Web というのは? どうもこの人と僕とでは Web の定義が異なるに違いない、ということまでは分かるのですが。

更に言うと、Web3 という単語でググると色々な情報が出てきますが、それもまた分からない。静的 Web を Web1 と定義し、動的 Web とモバイルブラウジング + アプリの世界観を Web2 と定義づけるのまでは理解できます。しかし、その先の Web3 とはという解説になった瞬間に、GAFAM というプラットフォーマーが絶対悪で、それから逃れた世界が Web3 であり、そのための要素がブロックチェーンと NFT である、という言葉が続くんですよね。いや、意味が分からない。ブロックチェーンというのは極論は分散台帳をインターネットでより広範囲に実現したものですし、NFT はもはや投機対象になっていて、クリエイター保護や知財保護の役には立っていないように見えます。それらが次世代の Web だ、と言われましても...。

まぁ、強いていうなら Tor みたいなものも昔と比較して広く知られ使われるようになりましたし、クラウドベンダーが成長し、ビジネスが成熟することで一般の個人ユーザーが個人の領域で享受できる範疇も広がってきているので、Web 含むコンピューティング資産が各個人に揺り戻しが来ているとはいえると思います。ただ、それが誰もがスマホを使っているのと同じレベルで発生するかと言えば違う気がしますし、ブロックチェーンで何かやるにしても、それを管理するプラットフォームが誰もが簡単に使えるレベルで実装されないと使われないと思うので、それはプラットフォーマーの世代交代が発生するだけなんちゃうんかな、と思う次第。

結論としては、Web### みたいな定義はマーケ屋さんかオンラインサロン屋さんの営業ツールだと思うので、眉に唾塗って取り扱った方が良いかなーと。いつにもましてとりとめもない内容ですが、今日のところはこんな感じで。

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶというが、歴史から学ぶには必要となる労力が大きいのが問題だ

  • ロシアが戦争を始めた。ロシア-ウクライナの解説をしている専門家が多数テレビ等に出ているが、言っていることがバラバラな部分が散見される
  • 恐らくは解説を端的にしようとしているのだと推察するが、過去の経緯も踏まえるとミスリードしてしまっているのではないかなと思う。
  • 一方で、正確に説明するために歴史的経緯から解説していくと、時間も足りなければ、情報を受信する側に求めるものも多くなるので難しそうだ。

2022年にもなって、大国による侵略戦争が始まってしまいました。正義の反対は悪ではなく、異なる正義であるという言葉の通り、どちらにも言い分がある状態ではあるものの、力に訴える行為を取ってしまったことは間違いと断言できるでしょう。最終的な判断は後世の歴史家が下すことになるでしょうけど、この先の歴史年表にかかれる内容がどこまで膨らむことになるかは予断を許さない状態。

ところで、個人的に現状で非常に気になっているのが、"ロシア関連専門家" の方々の解説の諸々です。ロシア語で情報収集し、ロシア発信の内容が一次ソースになっている情報を基に説明しているからだとは思いますが、無意識でしょうけど、ロシアのプロパガンダを広める一助になってしまっているところは問題ではないでしょうか。特に問題だと思うのが、ウクライナの東部は新ロシア勢力やロシアに近しい人々が住んでいて、ウクライナ西部と言葉や文化も違い対立している、という解説。今、現在を切り取ってみればその説明でも良いかもしれませんが、なぜそうなったか、が説明されている場をテレビで見た記憶がありません。確かに今は東部に新ロシア勢力が多いかもしれませんが、その理由は自然なものではないです。旧ソ連時代にクリミア・タタール人強制移住や弾圧があり、空いた土地に中央から入植させたので、今は新ロシア勢力が多いのです。クリミア・タタール人に対する弾圧はジェノサイド相当とされています。この点、説明なしで東部は親ロシアって断言して良いもんですかね?

また、全体の流れについてもソ連崩壊後もNATOが東進していることをロシア側が問題視していることや、それに関連する交渉の経緯についても深堀すると、西欧側ももう少し何とかできなかったのかと思うところも出てきますし、現状でも SWIFT 排除に関しても一枚岩になれていないことを突っ込んだ解説 = エネルギー供給のロシア依存に関する状況になった経緯についても色々と解説すべきところはあるように思うのですが、まぁ、なかなかどうして、そういった歴史的側面も含めた解説は、受け取る側にも多くのリソースを要求するので、テレビというフォーマットでは難しいんだろうなぁ、と。

今はネットで言語問わずに様々な情報ソースに触れられる時代なので、ちょっと疑問に思ったら自分でちゃんと調べるようにしておきたいもんだなぁ、と思いつつ、可能な限り犠牲者が少なく、事態が収拾されることを祈っております。自分個人にできることはほとんど何もないので、Keep Calm and Carry On. でいくしかないですね。

IT 業界における手順書は本質を完全に見失った典型である、大体、コードで書けるはず

今北産業

  • 知ってる人は知っている。IT 業界には "手順書" と言われるものが存在する。
  • 他業界にも存在するが ITIL あたりのプラクティス資格でも、「運用手順書が存在しない作業は行ってはならない」とか扱ってしまったことにより手順書が一部で神聖化されている感がなくもない。
  • 手順書はミスなく誰でも同じことができるようにする、が目的で、今では大半の作業がそれをコードで書くことで実現できる (Infrastructure as Code, IaC) のに、頑なに手順書にこだわる層がいる。なぜ?

さて、忙しさにかまけて数日サボってしまったので、今日は書こうと思う。と言いつつ、忙しさのピークは抜けてないので、これはこれで現実逃避と言えなくもない。今日書きたいのはなんで日本で IaC が定着しないのか。というか、いまだに手順書がでかい顔しているのか、という話です。

別に IT 業界に限定せずに手順書や運用マニュアルのようなものは存在すると思うのです。そして、誰もが簡単に繰り返し実行できる運用手順を確立することや、その確立された手順を分かりやすく文章にまとめることはそれぞれが独立したスキルで、どちらも極めて重要ながら身に付けることが難しいということも共通してるかと思います。で、本題。IT業界における運用手順書の話です。仕事上、クラウドの利用を訴求することが多いのですが、未だにクラウドは頻繁に画面が変わるからスクリーンショットや手順の文言の更新も頻繁に発生して、手順書管理が面倒だからまかりならん、とご意見いただく現場に遭遇することがあるんですよね。なんかこれ、本質を見失って、手順書を管理することが半分くらい目的になってるよなーと。運用手順自体を標準化して共有するということが時代や技術を問わずに重要であるということは変りません。ただ、GUI や文言ありきの手順書ってのはどうなのかな、と。クラウドに限定しませんが、最近の技術って大体、コードで叩けるんです。スクリプトとか、コマンドラインとか、API とか、いずれにせよ画面や文言にとらわれずに、直接実行できる内容そのものを記述する術があるんですね。なので、"誰もが、簡単に、ミスなく繰り返し処理を行う" という本質的な目的を考えた場合、GUI なんかさっさと捨ててコードベースで管理すべきなんです。

例えばですが、IaaS VM を立てて、OS をインストールする手順なんか、オンプレで GUI ベースでやると、対象環境に接続するところから、どのアイコンをクリックしてどのボタンをクリックして、どの選択肢を選んで、次はどのファイルを選んで、ということを延々とやっていくわけですが、パブリッククラウドだと aws ec2 run-instances とか az vm create とかで終わるわけですよ。オンプレでも Python でも PowerShell でも使えばよろしい。Terraform とか ansible とか使っても良いですし。

なんかこう、その作業で何の価値を産みだしているのか、という仕事の本質的なポイントではなくて、教えられた業務を完遂することが仕事になっている例ってやっぱり残念だなーと思う次第。自分自身、仕事のための仕事じゃなくて、価値を生み出すことをやってるかを確認しながら日々を過ごせるよう気を付けないとですね。

挑戦が賞賛される環境でこそ未来が切り拓かれる、ただ、正しい "挑戦" と無謀の判断は熟練者でなければ難しい

  • 女子ビッグエアで岩淵選手が3本目にトリプルコークに挑んだことと、それを見て他参加者や関係者が興奮しなが賞賛していた光景が素晴らしかった
  • 皆が競技の本質に集中し、お互いの挑戦を認める状況というのが理想だと思う
  • 皆が挑戦してこそ次のフロンティアが開拓されるとは思うが、"今行う価値がある挑戦" と "ただの無茶・無謀" の判断が難しいなぁ、という感想

羽生選手の4回転Aもそうなのですが、難しい挑戦を行い、それが賞賛される状態というのは望ましいなぁ、と。 特にスノーボードの各種競技は参加者・関係者がその賞賛を前面に出すので挑戦が上手くいかず結果に結びつかずとも、挑戦した側は挑戦したことを誇れるんじゃないかな、と思うわけです。個人的な経験を思い返してみると、アメリカの文化なのか、US のメンバーはどんな変な挑戦であっても、挑戦することに価値があると認め、結果が伴わずとも、そこから得られた経験や学びを拾おうとする姿勢が強い傾向があります。日本人は失敗を嫌うという話はもはや語られつくした感がありますが、それをどこまで一般化するかは微妙だな、とも思いつつ、ちょっとした失敗と信頼の喪失とが一緒くたになって扱われることが多いのは問題だと思います。正しい挑戦は失敗したところで信頼を損なうことはないんですよね。やるべき挑戦は失敗してもそこから次に備えるための要素を拾うことで、むしろ信頼は増えるはずなんです。上手い挑戦の仕方、上手い失敗の仕方を学ぶ機会が少ないのが、多くの日本人が育つ過程での一番の問題だったりするんじゃないかな、と。

また、挑戦って一言にまとめてしまうのは難しくて、正しい挑戦って本当に難しいと思うのです。"チャレンジ" という言葉に丸めて不正会計をやらかした企業を例に出すまでもなく、「リスクを取ってイノベーションを」と口ばかり言う多数の人々を振り返る必要すらなく、上手い挑戦・上手い失敗って難しいんです。そして、これまた重要なのが、挑戦の仕方・失敗の仕方にも経験が要るんですよね。どんな領域・どんなトピックであっても挑戦してみないと、やってみたことが無謀だったのか、簡単すぎたのかというところは分からないですし、挑戦を重ねないと、目標設定や退くタイミングの見極め、リカバリーの仕方の質って上がらない。更に言うと、他のスポーツや楽器等と同じで、無駄に数を重ねても質は向上しないんですよね。無謀なことを山ほどやっても上手くなるわけじゃない。結局のところ、一番重要なのはポストモーテムというか、失敗の振り返り・分析なんだろうなぁ、と。そういう意味で、日本企業のダメな傾向は、失敗を失敗として切り捨てることに加えて、失敗した内容を深堀して次に活かそうとすることがそう多くないことにあるのかもしれません。重ねて言うと、戦後の日本企業に多くの傑出した企業が出てきたのは、社会構造が崩れて、若いうちから色々なことを試して失敗するチャンスが多くの人にあったからだったりするんだろうなぁ、とも。

ということで、いつも以上に思ったことを適当に書くだけになってしまいましたが、自分自身、色々と挑戦しつつ、何がなぜうまくいかなかったかをちゃんと考えるようにしたいと思います。